島袋道浩、ワタリウム個展について語る |
(2008年12月) |
+[美術の星の人へ]という展覧会のタイトルについて なぜ[美術の星の人へ]というタイトルをつけたかというと、、、最近、僕の大好きな美術、アートがちょっとおかしくなっている。世界的にも、日本においても美術の価値が揺らいでいると感じています。僕にとっては作品の善し悪しを判断する基準はどれだけ売れたとか、いくら値段がついたというようなことではなくて、まずは自分の心の中にいる「美術星人」がこれでいい!と言ってくれるようなものを作りたいと思うのです。 そして最近は本当の意味で自由を感じさせてくれる、うらやましくなるようなアーティストが少なくなっていると思います。アーティストが美術という会社の社長ではなく社員みたいになっている時代です。僕にとって美術というのは、どんなに小さく、どんなに一見役立たずに見えても、自分で決めたことを自分で責任を持って達成していく自由と喜びにあふれた仕事です。美術、アートというのは個人的で自由であるべきだと思います。そして僕が10代の終わりから20代の始めにかけて経験した「こんな考え方、こういう生き方があっていいんだ!」という美術を見た時の感動と開放感。そんなことを今もう一度思い出して、この展覧会を作ってみたいと思ったのです。 +[浮くもの/沈むもの] この展覧会には野菜がたくさん出てきます。この数年住んでいるベルリンのアパートのキッチンがとても気にいっていて、最近はそこで料理をしたりしながら作品や美術のことを考えることが多いので、そんな状況が自然に展覧会にも反映されているのだと思います。 料理をしていて、水に浮く野菜と、沈む野菜があるということに気付き、おもしろいなあと思いました。どうってことないといえばどうってことないことなのですが、それが妙に心に残っていて。それをいつか作品にしたいとずっと思っていたのです。僕の仕事というのは誰も気にかけないような、そういうどうでもいいようなこと、マイナーなことやものに場所を与えるということだと思っています。 +[わけのわからないものをどうやってひきうけるか?] 今の時代っていろんなものや人や思想が飛行機に乗って、インターネットに乗ってすごい量、すごい早さでやってくる時代ですよね。そうなると全部が全部を理解しようとすると追いつかない。わけの分からないものをわけの分からないままなんとか引き受ける、時にはわけの分からないことと距離、間合いを取ったりしてなんとかやっていくような技術とかが必要な時代だと思うのです。わけが分からないと言って殺したり、攻めていってはいけないと思うのです。 この「わけのわからないものをどうやってひきうけるか?」というのはこの10年ぐらいの僕の大きなテーマであり、この星のみんなのテーマでもあるとおもいます。今回、その象徴的な例のひとつとしてドイツ人の学生が意味の分からない日本語の歌を意味の分からないまま覚えて歌っている映像を見せていますが、この作品を見た人がそれぞれ「わけのわからないものをどうやってひきうけるか?」ということをそれぞれの方法で考えてもらうきっかけになればいいな、と思っています。 そしてこれからの美術と美術館の役割のひとつは実はわけの分からないものを引き受ける練習の場ではないか、と思うのです。よく「現代美術は分からない。おもしろくない。」という言い方を聞きますが、実は美術は分からないからこそ意味があるとも思うのです。 +[やるつもりのなかったことをやってみる] ゴルフなんてまったくやる気がなかったですし、ゴルフをやる人の気持ちもまったく分からない。それに自然破壊だと思って嫌っていたのですが、5年くらい前に、友達のアーティストのオラファー・エリアソンが主催するアーティスト・ゴルフ・トーナメントというのに突然お誘いを受けたんです。まったくゴルフ初心者なのに飛行機代や宿泊代をもってもらってスペインまで行くというおもしろい体験をしたんです。それで行くことが決まってから当時住んでいた横浜のゴルフ練習場で30分だけレッスンを受けたりしました。 ゴルフをやってみておもしろかったことは、一回やったことで、自分が今までうまくコミュニケートできなかった日本のある種のおじさんたちと少し話せるようになったんです。「スペインのPGAコースでプレイしたことあるんですよ」って言ったら、おじさんたちの目の色が変わって、ちょっと話しが出来て話しのとっかかりになるっていう。これもひとつのコミュニケーションのツールなんだなあって思うことがあって。やるつもりのなかったことをやってみたら、変わる人生もあるんだなあと実感しました。そして接点のなさそうな人とコミュニケートする時にはまずこちらから相手のやっていることを理解しようとすることも大切だなあと思いました。それで今回、ゴルフを体験できる場を作りました。美術館にゴルフをやるつもりで来る人はまずいないと思いますが、美術とゴルフ、僕の仕事というのは一見遠くにあるものを結びつける仕事でもあると思うのです。 あとゴルフを習っていておもしろいのは先生のやっていることや本やビデオを一生懸命に見て真似をするというか、自分の体に写さなくてはならない。これは一種のデッサンのような行為だと思うのです。そこが美術に関係していると思います。 そしてゴルフを語る言葉っていうのがおもしろい。人によってまったく言うことが違うのです。クラブを持ってかまえた時の力の抜けた姿勢を人によっては「横断歩道で信号が変わるのを待っているような状態」と言ったり、別の人は「ラーメン屋で並んでいるときのような感じ」と言ったりするのを聞いたことがあります。(それにしてもなぜラーメン屋なのでしょう?)体の姿勢や状態を言葉に置き換える時のセンスがスポーツの世界ならではで僕には新鮮でおもしろいのです。 +[象のいる星] 3階から外へ出て見る作品があります。ワタリウムの屋上は風が吹いていて、東京が見渡せて、自分が地球という星の上に立っていることが感じられる僕の好きな場所です。そこに展覧会を見に来てくれる人たちにも立ってもらいたいと思いました。僕はあの屋上でいろんなことを考えます。そしてこの同じ星の上にいる、アフリカで見た象のことなんかを思い出すのです。ワタリウムの近くにある古い団地のあの古びたコンクリートの肌あいというのはどこかアフリカの象の肌を思い出させます。僕には東京の古い取り壊される寸前の団地の群れが世界の端に追いやられる象の群れに見えるのです。この[象のいる星]という作品を自分なりにつきつめていくと、遠くの存在について、他人の痛みをどうやって自分のことと感じられるかという想像力についての作品だと思っています。 +[運が良ければ買えるアーティストブック] 今回、アーティストブックを3冊作りました。コピー機を使って。 ひとつは、[トマト七星]という本。ワタリウムの近所の徒歩5分くらいの団地の中に、トラックで野菜を売りにきている八百屋さんがいるんですけど、そこでしか販売しない本。月曜日から土曜日のお昼1時ぐらいから暗くなるまでしか買えない本。 もう一冊は、屋上の作品に関連した[象のいる星]という本でワタリウム界隈の『ビッグイシュー』っていう雑誌の販売者さんに売ってもらっている本。といってもいつも前に置いているわけでなくって、「象のいる星、ありますか」って声をかけることによって出してくれるはずです。そして販売者の人は天気が悪いと休んだりもするので、運がよくないと買えない本です。運が良くないと買えなかったり、見えないものがあってもいいと思うのです。その方が実際に手に入れられたり、見れた時に嬉しいと思うんです。世界っていうのは、本当はそういうものだと思うんです。 どちらの本も『ビッグイシュー』と同じ300円で買えます。300円のうち160円が販売する人の取り分です。これも『ビッグイシュー』と同じです。『ビッグイシュー』のシステムは1990年の始め、ロンドンで始まった頃から興味がありました。ちょうどその頃、ロンドンに住んでいたのです。ホームレスの人たちに仕事を提供してもう一度定職につくための手伝いをするシステム。『ビッグイシュー』はホームレスの人しか販売できないのですが、日本でもこれまで700人以上の販売者登録があり、そのうち1割ぐらいの人がもう一度部屋を借りて再就職することができたそうです。 僕にとって『ビッグイシュー』のシステムというのはアートです。今まで誰も考えなかった、やらなかった方法で、社会に良いだろうと思うことを実現している点において。そしてビッグイシューの販売方法というのはパブリックな路上の空間の中で他人とコミュニケーションをしながらモノを買うという点でユニークです。僕にはこういうことが本当に美しいと思えます。そんなわけでいつかビッグイシューと何かいい形でプロジェクトができたらと思っていたので、今回、夢が叶ってとてもうれしいです。 あともう一冊、日曜日と美術館の夜間開館の水曜日の夜だけ買える[トマトと象]という本があります。 +[玉ねぎオリオン] この作品は古代の人とイメージのやりとりをして遊んでいる感じです。星であってオリオンであって玉ねぎ。イメージが重なりあう和音です。この作品を作って以来、夜空を見上げるとそこに玉ねぎが浮かんでいるのが見えます。 +[シマブクのフィッシュ・アンド・チップス] コンセプチュアル・アートって頭でやる印象がありますが、最近はコンセプチュアル・アートを心でやりたいと思っています。胸にキュンとくるメロディアスなコンセプチュアル・アート。この[シマブクのフィッシュ・アンド・チップス]という作品は正にそういう作品だと思います。 音楽を大好きなブラジルのミュージシャンで、数年前にリオに行った時に会いに行って友達になったカシンに作ってもらいました。ブラジルのミュージシャン、アーティストにはコンセプチュアルなことを心、ハートでやっている!と思える人がたくさんいて、僕の先生というか、共感します。カシンのギターは本当に素晴らしくって胸に響きます。 +最後に この展覧会は本当にいろんな人たちに手伝ってもらいました。カーペットや映像機器に始まり、同時にスポーツ関係の会社が協力に並んだ展覧会って今までなかったと思います。入り口で配られる出品作品リストにも文芸春秋、ナンバーの編集者の方の協力で大好きなサッカーのオシムさんの最新のインタビューの記事の一部を使わせてもらったりしました。「日本サッカーに告ぐ」というもの。この文中の「サッカー」を「美術」に変えて読めばそのまま「日本美術に告ぐ」というメッセージになります。 そして12月12日のオープニングにはスポーツ関係者、ゴルフの先生たちなんかと一緒にビッグイシューの販売者の人たち、そしていろんなところからかけつけてくれたたくさんの人、アーティストの友達なんかが同じスペースを共有して言葉を交わしていました。僕にはとてもうれしくて美しい風景でした。それも僕のやりたかったことのひとつなんです。日本って、外国人からみたら単一民族で、一見ギャップがないように見えると思いますが、実はいっぱいギャップがあって、少し世代が違ったり、少しやってることが違ったら、ほどんどコミュニケーションがないと思うのです。関わる術がない。だから、東京で、違う世代間や分野の間に橋をかけるというのはやらなきゃいけないし、それが僕の美術の仕事のひとつです。ゴルフの作品のところでも話しましたが、アーティストの仕事というのは、遠くと遠くの、今まで誰も結んでなかったところを結ぶ、橋をかけていくということがあると思います。 |